2017.09.06 Wednesday

Slow Learner #53

 

「なぜなら、なんの疑問も抱かずひたすら従うなんて

 

心のない人間にしかできないことだ」

 

 

映画『Pan's Labylinth』

 

 

 

 

 

今月はなぜか唐突にエリック・クラプトン。1971年、デレク&ザ・ドミノスの『いとしのレイラ』からA面1曲目 " I Looked Away" です。ストラトの音作りとギターの練習のためにやってみたら、思ったよりもうまくいったのでかたちにしてみました。クラプトンのチョーキング・ヴィブラートはやっぱりきれいですね。とてもとてもあんな風にはいきません。ピッチのあまいところは何卒大目にみてくださいませ。

 

 

C-Dadd9-G7と来て、E7-Amを挟んでF-D7(onF#)-Gという、綺麗なコード進行。G7の押さえ方がちょっとした肝になってまして、6弦オミットの5弦から2フレ、3フレ(もしくは開放)、開放、3フレ、1フレといった並びです。3度ルートのG7みたいな解釈です。サビのAm7-B♭sus4の動きも、B♭のベースがFで、B♭sus4(onF) とオープンな響きになっているのがさりげなくよいかんじです。このパートはあまりギターっぽくない発想なので、おそらく鍵盤を担当している共作者ボビー・ウィットロックのアイデアなんだと思います。

 


このアルバム『Layla... and assorted love songs』が、名曲「いとしのレイラ」を筆頭に、当時ジョージ・ハリスンの奥方だったパティ・ボイドに捧げられているのはあまりにも有名なお話。基本的には、親友の妻への道ならぬ恋の喜びと苦しみとの間で引き裂かれる葛藤を唄っています。この ”I Looked Away" もざっと意訳すると「彼女はいつも気持ちを伝えようとしてくれていたのに、俺はそれに気づかなかった。彼女が去ってはじめて自分がどんなにさみしい男かに気づくなんて、俺はなんて愚か者なんだろう」といったような内容です。クラプトンみたいな二枚目が唄うと、ま、これが絵になるわけです。

 

 

注目すべきは二廻り目のサビの歌詞です

 

 

And if it seemed a sin
To love another man's woman, baby,
I guess I'll keep on sinning
Loving her, Lord, till my very last day.

 

 

ここでの "another man's woman" が指し示すのは、端的にパティ・ボイドのことです。「もし、他人の妻である彼女を愛することが罪だというのなら。神よ、私はいまわの際まで罪人であり続けるだろう」というこの感動的なラインに、パティもほだされてしまったわけですが、すこし見る角度を変えてみると、この "another man's woman" は「ブルースやゴスペルといった黒人音楽」のメタファーとしても聴こえてこないでしょうか?

 


ね、そう解釈すると、この歌詞は彼の現在にいたる音楽人生の歩みそのものじゃないですか。「白人である自分がブルースを演奏することが、ブルースを黒人から奪うことだとしても、俺はその罪を背負ってブルースを死ぬまで愛し続けるのだ」という、彼の決意表明のように私には聴こえます。クリーム、ブラインド・フェイスを経て、本当の意味で自分を表現できる音楽スタイルにたどりついた、クラプトンの充実した心境も反映していたのかもしれません。アルバム『レイラ』各曲をたんねんに聴きなおすと、その静かな決意が全体の隠れたテーマにもなっていることがわかってきます。このアルバムはもちろん、ラブソングとしてもすぐれているわけですが、色恋沙汰の苦しみをこういった実存的葛藤のレベルまで昇華できたからこそ、現在にいたるまでわたしたちをひきつけてやまないのです。

 

 

私生児として生まれ、祖父母を両親として育った複雑な生い立ちも影響しているのでしょうか。クラプトンは常に「運命に引き裂かれる状況」にある時、傑作をものしてきたように見えます。そのことが、「ゴシップねたで商売する人」といった批判をまねいたりもしました。ですが、「引き裂かれたもの」として運命に立ち向かう彼の姿は、人間がどうしようもなく人間であることの、ある「本質」を突いています。それがわれわれ聴き手の無意識を揺さぶるのです。クラプトンがこんなにも愛されてきた理由のひとつがそこにあるような気がします。

 

 

たとえ最終的にはその運命を受け入れるしかないのだとしても、神が定めた運命にあらがう者。それが人間です。「永遠に矛盾の中で引き裂かれる者」それがわたしたちの名前なのです。

 

 

このつづきは満月の夜に

 

2017.08.08 Tuesday

slow learner #52

 

「自分でやって失敗するほうが、他人の力で成功するより価値がある」

 

 

ロバート・スミス

(The Cure)

 

 

 

 

 

暑中お見舞い申し上げます。8月もひきつづきタツロー・スタディーズ。1976年のソロ・デビューアルバム『Circus Town』より、タイトル・トラックの "Circus Town" 。チャーリー・カレロのアレンジによる表情豊かなストリングスとブラスが見事です。
 

 

アレンジ全体の方向性は70年代ノーザン・ソウル的なものですが、どことなくカレロが60年代にローラ・ニーロと組んだ『イーライ』あたりも連想させます。このへんは達郎さんの狙いどうりですね。ドラムはアラン・シュウォルツバーグ、ベースはまだ無名時代のウィル・リー、ギターはジョン・トロペイだし、サックス・ソロはルー・マリーニといった豪華メンバー。いつにもまして、ひとりでやるには無理ありすぎなわけですが、頑張らさせていただきました。迷惑ですか。ですよね。生まれてすみません。トカトントン。

 

 

ギターは全部テレキャスターを使いました。初めて自分の金で買った78年製のテレキャスターです。改造を繰り返して酷使してきたため近年は引退状態だったのですが、オーバーホールしてここ2年くらいほぼ毎日触っていたらだんだん「鳴る」ようになってきました。

 

 

「鳴る」というのはギター人種がよく使うオカルト表現なのですが、べつに、ある朝起きたら、「普通のギター」が「金のギター」になっていたりするわけではありません。そうではなく、弾き手とギターとの『関係』が変化しはじめると、お互いに好循環が起こることがあるわけです。弾き手のギターとの接し方に無駄がなくなってインターフェースの質が向上すると、良いフィードバックが起こって互いのポジティブな部分が引き出せるようになるのですね。ある意味「鳴っている」のは弾き手の方でもあるわけです。

 

 

一般には「演奏が上手くなる」ということは、「楽器をコントロールする」ことだと考えがちですが、それは違います。コントロールの対象となっているのはむしろ「自分」です。そのために機械的な基礎練習をくさるほどやるわけです。なんでそんなつまらないことをえんえん積み重ねるかというと、それは楽器と自分との間に「共通のボキャブラリー」を持つためです。言葉の通じない無機物との間に、コンセンサスをつくる努力をすることが「練習」なのです。それが一定のしきい値を越えると、外からはあたかも「楽器をコントロール」しているがごとく自由に演奏しているように見えるようになります。ですが重要なのは、その時変わっているのは「楽器」ではなく「自分」だという点です。楽器演奏の醍醐味は、演奏することをつうじて演奏出来る主体へと「自分」が変わってしまうことです。楽器によって「わたし」が拡張されることで、それまで正しいと思っていた価値観が吹き飛んで、不可逆的に別の「わたし」に変化してしまうことなのです。

 

 

人間のコミュニケーションでも同じです。コミュニケーションの肝は「相手をコントロール」することではありません。「コントロールする」というのは。相手に対して優位に立とうとすることです。みもふたもないことを言ってしまえば、それは自身の劣等感の裏返しなのです。ですから、相手を思いどうりにしたいといった気持ちが強くなればなる程、その影もどこまでも長く伸びていくことになります。たまさか成功して一時の全能感に酔いしれたとしても、すぐ足下には劣等感の無間地獄が口を開けているのです。

 

 

大切なのは「フィードバックが起こる関係性を作る」ことです。そのためには、相手に「自分をどれだけ投げ出せるか」が鍵になります。「わたし」の中に「あなた」を組み込んで、あたらしい「わたし」をつくりだすことが出来れば、結果としてコントロール状態は達成されます。しかし、その状態を「わたし」はコントロールしているわけではありません。そのような主体はもはや存在しません。その時出現している「わたし」は、その状態が達成される前の「わたし」とは、すでに違う「わたし」だからです。

 

 

「わたし」は変わることができる。そのことこそが救いであり、私たちがパンドラの箱を開けたあと最後に残っていたものです。もしそうではなかったとしたら、このたちの悪い冗談のような世界を生きていく意味など、いったいどこにあるというのでしょうか?

 

 

テレキャスターからずいぶん話が脱線してしまいました。

いや〜、楽器ってほんとにおもしろいもんですね。トカトントン。

このつづきは満月の夜に

 

2017.07.09 Sunday

slow learner #51

 

"Life's a piece of shit, when you look at it"

 

モンティー・パイソン

 「Always Look On The Bright Side Of Life」

 

 

 


いや、よく降りますね。稀少な閲覧者のみなさま、お変わりありませんでしょうか?気分は停滞低気圧、ムジカ堂主人でございます。7月のタツロー・ヤマシタ・スタディーズは一足先に夏モード。1983年のアルバム『Melodies』から “Guess I'm Dumb" であります。あいかわらず一人で「あーでもない、こーでもない」と地味にやっとります。よろしかったらどうぞ。

 

 

オリジナルは、ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンのプロデュースによるグレン・キャンベル1965年のシングル。ヒットはしませんでしたが、ポップスおたくの間ではブライアンの隠れた名曲として有名です。ラス・タイトルマンによる「君がいないとダメダメな僕」路線の歌詞もブライアンらしくて◎。わたくし世代だと、1988年のルイ・フィリップによるカバー・バージョンもなつかしい。詳細はwikiでどうぞ。

 

https://en.wikipedia.org/wiki/Guess_I%27m_Dumb

 

 

達郎さんは例によって「カバーはオリジナル・アレンジでやって勝てなきゃダメ」というポリシーをここでも有言実行。通常ステレオ・ミックスの場合スネアやハイハットは左右どちらかに多少ずらして定位するのですが、この曲ではどっしりとセンターに配置。これはおそらくオリジナルのモノ・ミックスの音圧感を再現するためだと思われます。反面、タムやパーッカションは大胆に左右に振り分けてステレオ感を演出していますね。イントロのベースによるスラップも非常に効果的。このへんの温故知新のバランス感覚はじつに見事です。

 

 

閑話休題。

 

 

精神衛生上の理由からコメント欄はずっと閉じてきたのですが、ちょっと考えが変わりました。承認制ですがコメント欄を開くことにいたします。誹謗中傷、罵詈雑言、罵倒、嘲笑、なんでもOKです。非難されても、「こんな人たちに負けるわけにはいかない!」などという無粋なことは申しません。さくっと削除・ブロックいたします。気が向いたらお気軽にお声をおかけくださいませ。よろしくおねがいいたします。

 

 

このつづきは満月の夜に

2017.06.09 Friday

slow learner #50

 

「おとなは、大事なことはひとこともしゃべらないのだ」

 

 

向田邦子

『あ・うん』

 

 

 

 

6月もひきつづきタツロー・ヤマシタ・スタディーズ。1980年のアルバム『Ride On Time』から "夏への扉”です。モチーフとなっているハインラインの同名小説ともども、とても思い入れの深い曲であります。以前トライしてみた時はかなり不本意な仕上がりだったので今回再チャレンジしてみました。唄はまあ、あれですけれども、演奏はだいぶまともになってきたと思います。よろしかったらどうぞ。

 


そもそもタツローさんの研究を始めたのは、数年前にこの曲をコピーしてみたのがきっかけでした。なんとなくやりはじめたら、止まらなくなってしまったかんじです。あらためて全アルバム全曲を聴きなおして簡単な譜面に起こし、その見取り図をもとにどんなアレンジになっているか各パートを細かく調べながらやってますが、やればやるほどあたらしい発見があります(それに比例してわからないことも増えてしまうのですが)。

 

 

たとえばこの曲の場合、3時の位置に薄くクラベス(拍子木)があるのですが、これがけっこう曲全体の印象を左右しているのですよ。この音が4拍目、バックビートの位置で鳴っているのといないのとではグルーブの表情が一変してしまう。そして、その深めにかかったエコーの響きに誘われて、聴き手は知らず知らず各々の心の中にある「夏」へと想いをはせるのです。

 

 

手を伸ばせば届きそうな逃げ水のようにわたしたちの指からこぼれ落ちてゆく、かつてたしかに手にしていたはずの見果てぬイノセンスの後ろ姿を胸に。

 

 

あ、いかん。またよけいなこと言ってしもうた。

このつづきは満月の夜に

 

2017.05.11 Thursday

slow learner #49

 

 

「たとえ予算がなくても、技術と情熱さえあればいい映画はつくれる。

 

情熱だけではダメですよ。技術がないと」

 

 

高橋ヨシキ

(映画評論家/デザイナー)

 

 

 

 

The Waterboys のマイク・スコットがろくでなし子の旦那だと知り、軽いショックを受けているムジカ堂主人です。いやー、グローバル化ってほんとうにガンガン進んでいるのですね。そりゃ、フランス人だってルペンに投票したくもなるわ。そんな世間もどこ吹く風、今月も slow learner はタツロー・ヤマシタ・スタディーズ。というか、当面これしかやりません。今となってはどこの誰かも誰でもみんな知っている、Sugar Babe でのデビュー曲 "DownTown"にトライ。

 

 

ドラムにはシンプルなパターンを叩かせ、後からハットとタムをダビングすることで、独特のシャッフル感を出しています。クレバーですね。大瀧・笛吹銅次・詠一氏の手によるオリジナル・ミックスはバンド全体のグルーブ重視のためか音の分離があまりよろしくないので、判別出来ないパートは自分なりに組み立ててみました。こまかいことよりも、オリジナルのわくわくするようなグルーヴ感に可能なかぎり忠実な演奏をするようこころがけてやってます。どうぞ気持ちだけくんでやってくださいませ。

 

 

Sugar Babeのギタリスト、村松邦男さんは「曲にとってベストなフレーズ」を的確にこなすタイプ。ビートルズにおけるジョージ・ハリスン的な立ち位置ですね。特にこの曲はこのギターなしでは成り立ちません。じつによく考え抜かれています。あの超有名なイントロも、ほんとにちゃんと弾こうと思うとこれが結構むずかしい。リズムや右手のコントロールなど、基礎がしっかりしていないと、なかなかきれいに決まりません。

 

 

中間のギター・ソロ、オーバー・チョーキング気味の導入部が何回聴いても大好きです。クールに見えても内には情熱を秘めているのが伝わってきます。タツローさんの唄も「たそがーれ」の「が」の発声が、「んが」と鼻濁音になる以前のシャウト気味の「が」で、これがよいのです。若気の至りというか、暴走する青い性というか、山下達郎の隠れヤンキー体質が垣間見える資料としても重要な一曲であります。

 

 

 

IMG_0510.JPG

 

 

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最後にちょっと機材紹介。この録音にも使っているストラトキャスターです。Ska☆Rockets のヘルプをやっていた頃、中古で6万くらいで入手。もとはレースセンサーがついてました。50th anniversaryのシールが貼ってあるので、1996年製のストラト・プラスだと思います。黒だったボディーをフィエスタ・レッドにリフィニッシュした時に確認したら、ボディーは5ピース貼り合わせでした(泣)。楽器としてはまあ値段相応のものですが、道具としては十分 ”使える” ギターです。特にネックが弾きやすくて気に入ってます。ローラー・ナットとスパーゼルのペグのおかげで、チューニングやピッチが比較的安定しているのもよいところ。軽いし、ライブでは御世話になりました。去年トレモロ・スプリングを試しに Raw Vintage のものに替えたら好みの音に近づいたので、そのうちブリッジやトレモロブロックも古いタイプに替えたいなと思っています。

 

 

このつづきは満月の夜に

 

2017.04.11 Tuesday

slow learner #48

 

よくあなたに言っておく。

 

今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう

 

 

新約聖書

『マタイによる福音書』より

 

 

 

 

桜も咲きました。閲覧者のみなさまいかがお過ごしでしょうか。4月の slow learner はタツロー・ヤマシタ・スタディーズ。1978年アルバム『Go Ahead!』より "Let's Dance Baby"に挑戦。ライブの定番曲としてあまりにも有名ですね。はじめてクラッカーの乱舞を体験したときは感動いたしました。クリシェの半音下行ラインが印象的なポップスのお手本みたいな名曲であります。Roland のストリングス・シンセもよいかんじ。

 

 

あらためて聴きなおすと、上原裕さんとハックルバックの田中章弘さんのリズム・セクションは、青山・伊藤コンビのタイトなコンビネーションに比べると少し”いなたい”かんじで、そこがちょっと70年代ナイアガラ風味というか、黒っぽいけれども黒すぎないこの時期のタツローさん独特のファンク感につながっていると思います。

 

 

スタジオ・バージョンとライブ・バージョンではキーやリズムアレンジに若干の違いがありますが、今回はSEも含めてオリジナル・スタジオ・バージョンに可能なかぎり忠実にやってます。フェイドアウト部分のコーラスだけは、ライブ・バージョンの三声のアレンジを使いました。ってそんなことに気がつく人はいないと思いますが。

 

 

だもんで、キーはA♭ではなくB♭です。一音高いわけです。ええ、唄入れの時にそれはそれは後悔しましたとも。後半かなりトホホです。例によって大目にみてくださいませ。

 

 

今年の桜ももうすぐ終り。でも終わりは始まりです。

花に嵐のたとえもあるぞ

さよならだけが人生だ

 

 

このつづきは満月の夜に

2017.03.12 Sunday

slow learner #47

 

"Patriotism is the last refuge of a scoundrel."

 

「愛国心は、ならず者達の最後の逃げ場である」

 

 

サミュエル・ジョンソン

 

 

 

 

春の気配がそこかしこに感じられるようになりました。

 

 

今月の Slow Learner は Wings。1979年のアルバム『Back To The Egg』のラストに収められていた佳曲 "Baby's Request"であります。ポール・マッカートニーのこういうオールド・タイミーな曲には、彼の音楽的センスの良さがにじみでていますね。こういう曲をなにげなくさらっと唄って様になっちゃうところが、まさに "Sir Paul" なわけでありまして。自分で唄ってみて、ポール師匠が歌手としていかに地肩が強いかをしみじみ実感いたしました。かすりもしませんわ。あたりまえか。

 

 

なんというか唄に品がありますよ。でもって押しつけがましくなく、気取ってなくて自然体。

本当に上品な人は、自分から「〜の品格」みたいな野暮なこと言わないのとおんなじです。

 

 

ギターを弾いているのは Laurence Juber。近年はソロでアコーティック・インストルメンタル中心に活躍されてるみたいです。この曲の冒頭で聴かせるジャズ的なアプローチからストレートなロックンロールまで、幅広いジャンルに対応できるギタリストでした。スター性とかはないけど要所でピリッと締める職人系ギター。私は結構好きです。

 

 

ポールをめぐるギタリストの中では Robbie McIntosh もそんなかんじでしたね。めちゃ上手いんだけどこれみよがしなことはしない。この人のプリテンダーズ時代の ”Middle Of The Road" で聴けるテレキャスの小股が切れ上がったソロとか大好きです。初期Wings の Henry McCllough もよかった。ツボを押さえた唄心あふれるギターが素敵でした。

 

 

すっかりおっさんの与太話になってしまいましたが、ギターといえば、先日はなつかしい場所で畏友タケダ2000GT氏と再会する機会がありました。ライブでギター弾くとこも見れてうれしかった。あいかわらずよいライブでございました。

 

 

このつづきは満月の夜に

 

2017.02.11 Saturday

slow learner #46

 

"Give me your tired, your poor,

Your huddled masses yearning to breathe free,
The wretched refuse of your teeming shore.
Send these, the homeless, tempest-tost to me,
I lift my lamp beside the golden door!"

 

エマ・ラザラス

"The New Colossua"

 

 

 

 

更新遅れてしまいましたが、今月はタツロー・ヤマシタ・スタディーズ。

ライブ・アルバム『JOY』より「プラスティック・ラブ」

竹内まりやさんのカバーですね。1984年の名作『Variety』のA面2曲目でした。

まりやさんのアルバムでは、今でもやっぱり『Variety』が一番好きです。

 

 

一歩間違うと歌謡曲すれすれのポップな楽曲を、ナイスなアレンジで料理されています。

オリジナルのロック的なカタルシスにあふれたアンサンブルは何度聴いてもかっこよろしい。

青山純さんのドラムはやっぱNO.1です。余人をもって代えがたい。

あらためて追悼の意を表します。

 

 

土岐英史さんのサックスだけはどうしてもかんじが出なかったので、ギターに置き換え。

デビット・ギルモアみたく弾けたらいいなと思いながらストラトでやってみました。

つたない唄も含め、例によって気持ちだけ汲んで大目に見てやってくださいませ。

 

 

話は変わりますが、冒頭の詩は自由の女神の台座に刻まれているそうです。

ラザラス(Lazarus)という姓は、キリストの奇跡によって生き返ったラザロの英語読みですね。

そのことをふまえて読み返すと、また深い味わいがあります。

 

 

『アメリカ(≒フロンティア)』は、経済面でも精神面でも世界の「巨大なガス抜き装置」として

歴史的役割を果たしてきたのですが、「もうあきまへん。うちがもうかることだけしまっせ」と、

胴元の親分自身が言い出しておるのですな。あまり他人ごとに思えない話です。

 

 

" I've got a bad feeling about this " by ハン・ソロ。

 

 

なぜなら、『外部』を想像できなくなると、私たちはおそろしく不寛容になる生物だからです。

「ここがダメならあそこがあるさ」と思えなくなった時、人間にとって最も合理的な行動とは

内側でのゼロサム競争に生き残るため、長いものに巻かれて自己利益を最大化することです。

 

 

それが「正しいこと」だと自己欺瞞して生きてゆくことはひとつの『正解』なのです。

ただし欺瞞で抑圧された自我は非常に不安定ですから、自分の正しさを己に信じ込ませるために

何か「叩きやすいターゲット」を貶めることで、精神の安定を図ろうとします。必ずします。

人間はそもそもがそういうダメダメな生き物なのです。歴史がすでに何回も証明しています。

はたして、私たちは『美しき例外』になれるでしょうか?

 

 

日々、自らの場所で汗を流している閲覧者のみなさま、寒中お体御自愛くださいませ。

このつづきは満月の夜に。

 

 

2017.01.12 Thursday

slow learner #45

 

「この惑星はゴールデン・エイジをまだむかえていない。

 

神も芸術もロックも死んだというが、現在こそが私に与えられたチャンスだ。

 

私は古代メソポタミヤやエデンの園に生きているわけではない。

 

現在こそが私の、私達のゴールデン・エイジだ。

 

私のチャンスは現在しかない。

 

過去でもなく未来でもなく、私は今ここにいるのだ」

 

 

パティ・スミス 

1978年のインタビューより

 



 

 

新年明けきりました。いかがお過ごしでしょうか。 

閲覧者のみなさまにとって、どうか2017年が幸多き一年でありますように。

 

 

今月はアズテック・カメラ、永遠の名曲『Walk Out To Winter』に挑戦。

この曲がリリースされた1983年当時、ロディー・フレイムはなんと若干18歳。

おっさんだけど唄ってしまいました。お恥ずかしい。

 

 

もともとドラムマシンが使われている曲なので、ベーシックは割とすんなりいきましたが、

ギターのカッティングがとにかくむずかしい!16分音符の粒がそろわないと曲になりません。

やっぱり何事も基本が出来てないとダメですね。まだまだ無駄な力が入りすぎです。

オルタネイト・ピッキング矯正ギプス、一日一時間。毎日練習してやっと弾きました。

 

 

ロディー・フレイムはおそらくギブソンのES-175あたりの箱ギターを使っているんだと思いますが、

あたくしは全部78年製のテレキャスターでやりました。例によってライン直です。

アンプシュミレーターにもだいぶ慣れて、狙った音にたどりつけるようになってきてうれしい。

そんなことでよろこんでいるから、いつまでたっても大人になれないのですな。


 

このつづきは満月の夜に

2016.12.14 Wednesday

slow learner #44

天からは雨が一滴も降らない。

 

その代り、地中深くにはまだ水が残っている。

 

 

庄野潤三『夕べの雲』

 

 

 

 

今年最後のslow learnerは、佐野元春さんの ”こんな素敵な日には” にトライ。

ランディー・ニューマンやニルソンなどへのオマージュをかんじさせる佳曲。

聴き取り不能なパートは思いきって省略して、シンプルにまとめてみました。

個人的にはストリングスの内声の動きが好きです。

 

 

初期の佐野さんのイノセントな唄声は、今聴いてもチャーミング。

「うまく唄おう」なんぞという邪念がないところがとってもよい。

何事も、手段が目的化してしまうとろくなことがありません。気をつけませう。

 

 

今年一年おつきあいいただいた閲覧者のみなさま、ありがとうございました。

どうか良い年末年始をお過ごしくださいませ。

 

 

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