2011.02.05 Saturday

Baby, You're A Richman

 

映画『ソーシャルネットワーク』を観に行ってきました。



映画の題材となった、Facebookやマーク・ザッカーバーグにも、ITビジネスやハーバードのフラタニティーを巡るヒエラルキーといったものにも、個人的に全く興味はありませんし、共感も持てません。

むしろ出来る事なら、今後死ぬまでそういった”言葉たち”とは関わりたくないと思うような人間なのですが、デビッド・フィンチャーの新作で音楽はトレント・レズナーと聞けば当然、



「おっ、『セブン』じゃん」



となりますから(ちなみにエグゼクティブ・プロデューサーには『セブン』でシリアル・キラーを演じたケビン・スペイシーの名前がありました)、これはちょっと気になるでしょう。



というわけで、仕事が早く終わった夜にふらっと出かけました。

平日のレイトショーとはいえ、映画館はガラガラどころか、なんと完全なプライベート・シアター状態。

150円のキャラメルポップコーン片手の僕のために、2時間フィルムを回してくれました。

うひょー。



日常、"完全に一人きりになれる時間"というのもそうありません。

なんだか、世界が終わった後に廃墟と化した街に一人取り残されて映画を観てるみたいで、なかなかに奇妙な経験でした。



『ファイトクラブ』でびっくりして以来、フィンチャー監督の作品は遡って全部観ましたが、どれも面白いですね。

"神の不在"に耐えて生きようとする現代人の不気味さ、グロテスクさを、これほど醒めた目で描く人も珍しい。

でも不気味さだけではなくて、ちゃんとユーモアも感じられるところが好きです。



今回もなかなかでした。ただ、前作『ベンジャミン・バトン』が個人的に素晴らし過ぎたので、その分比べるとマイナスでしょうか。

でも、僕はこの人の、登場人物に安易な感情移入を許さない映画作法というか、物語の語り口が好きなので、ハズレはハズレなりに楽しめます。


いや、面白かったんですよ。多分、一度目よりも二度目に観た時の方が面白く感じる映画だと思います。

そういう面白さ。

フィンチャー作品は、大体においてそうなんですが。



それにしても、見事に、ろくでなしや嫌な奴しか出てこない映画です。

主人公からして、絶対に友達になりたくないタイプの人間。

システムの中で上手く立ち回り、のしあがっていく為には、嘘も平気でつき、友情も踏みにじり、パートナーを売ることも厭わない。



この映画の中のマーク・ザッカーバーグは、典型的なアンチヒーロー、”理解不能の怪物くん”として描かれています。



けれどもラストシーン、彼がこの世界でたった一人だけつながっていたかった、ふられた恋人に、自身が立ち上げたFacebookから”友達希望”のメッセージを送り続ける場面にたどり着いた時、僕達は自分自身の中にも、彼と同じ小さな”怪物くん”が住んでいることに気がつくことになるのです。



皮肉なラストにも思えますが、奇妙にふくらみのある開放的なエンディングでした。

なぜなら、メッセージを送り続けるジェシ・アイゼンバーグ演じるマーク・ザッカーバーグの口元には、どこか穏やかな笑みが浮かんでいるからです。



そこには、何か一種不思議な『希望』が感じられるシーンになっていました。



一人きりの”世界の終末的”映画館に響く、ビートルズの"Baby, You're A Richman"は、なんともいえない独特のものがございましたよ。はい。




フィンチャー自身はインタビューに答えて、この作品を「ジョン・ヒューズが監督したような『市民ケーン』なんだ」とコメントしているらしいですが、言い得て妙です。

(この件では、町山智浩さんがPodcastで非常に面白い解説をしていらっしゃいました)


第104回 もう観ちゃった人のための『ソーシャル・ネットワーク』



映画の構成は、そう言われればたしかに、オーソン・ウェルズの『市民ケーン』へのオマージュになっています。



でもって、舞台はハーバード大学。ジョン・ヒューズ監督が80年代に描いたようなアメリカのステューデント・ライフを、ホワイトストライプスやレディオヘッドのメロデイーが流れる2000年代に時代背景を移した、”一回転半した青春群像ムービー”としても観れます。



その辺のねじれた構造も非常に面白かったです。



でも、映画観て泣きたい人や、彼氏・彼女と一緒に映画見たい人には絶対おすすめしません(笑)!



2010.11.05 Friday

不在の存在

 映画『薬指の標本』のDVDを観ました。


小川洋子さんの同名短編の映画化で、前からTUTAYAで気になっていた一本。

概ね悪くなかったけど、原作に思い入れのある映画はやっぱり難しい。



小川さんの小説は海外でも結構人気があるみたいです。

無国籍な設定のお話も多いし、ドメスティックな要素が少ないから、翻訳しやすいのかもしれません。(『博士の愛した数式』とかは、日本人じゃないと江夏の背番号のくだりがむずかしいかな?)



小川さんの作品には『何かが欠落している存在』がよく登場します。

そして、彼らは他の登場人物たちよりも、くっきりとした確かな存在感を放ち、物語をドライブさせてゆく。おそらく、意識的に使われているモチーフなのでしょう。



存在しないことによって、その存在を示すもの。

それは「死者」です。

この物語の主人公も、「そちら側」に知らず知らずのうちに踏み込んでゆくことになります。



僕が、この小説で一番好きな場面は、欠けた薬指を持つ主人公の女性が、床に落としてしまったタイプライターの活字盤を、愛する標本室の技師に命じられるまま、彼が見る前で夜を徹して元通りに拾い集めるところ。



拾い集めるのが、『活字盤』というところがいいんです。



漢字というもの自体に、そもそも呪術的側面がありますから。

アルファベットだと、いまひとつセクシーじゃない。

読んでいると、細かく書き込まれたディティールに、自分の足下が「ぐらり」と揺らぐ快感をおぼえます。ここから物語が結末に向かって加速していく場面なんです。



ところが、映画だと肝心の小道具が『活字盤』から『麻雀牌』に変わってしまってるのです。


うーん。シーン自体も全体の中で扱いが軽く、残念。



SEXシーンは要らないから、ここを描き込んでほしかったなあ。

女優さんはとても綺麗に撮れていたので、映画的にはOKなのでしょうが。



靴をめぐる部分は、まあまあ良かったです。

もうちょっとつっこんでフェティッシュでもいいんだけど。


Potisheadのベス・ギボンズによる音楽はとても良かった。


2010.09.03 Friday

大きな耳


7年程前、あるミュージシャンの方に教えてもらった本。


『大きな耳』アラジン・マシュー


音楽を演奏する人へのガイドブックのような本なのだけれど、いわゆるハウツー物や教則本じゃない。


凄く根本的なことを、色んなエピソードを通じて平易な言葉で書いてある。


短いチャプターが集まって出来ているので、音楽を演奏する事に興味のない人も、風変わりなエッセイや、読みやすい哲学書的に読める。


だいたい、初心者が読んで面白い専門書というのは良い本だ。そういう本は読者の立場やその成長の度合いによって幾通りにも幾重にも読めるからだ。


『五輪之書』とかね。


七年経って、今では、中身は赤線でいっぱいになってしまった。


少し引用。


『音楽は瞑想ではないし、私的な行為でもないと思う。たしかに瞑想的になったり私的にも(利己的にも)なるかもしれないが、究極的には言語と同じように人と分かちあうものである。

〜中略〜

音楽を人に与えるために必要なことは何か。


音楽が実際にきみのものになることである。』



“音楽が実際に君のものになること”


重い言葉だ。


“僕たちが音楽を演奏している”うちは、おそらく音楽は僕たちの一部になってくれないだろう。



そうではなくて、“音楽が僕たちを演奏してくれる”ようになったら。


もしそうなったら、僕たちはその逆転の瞬間、音楽がすでに自分のものになっていることに気付くだろう。

2008.12.30 Tuesday

寡婦噛むよ新聞紙よむカフカ


そろそろ、タイトルも苦しくなってきました。


二十歳過ぎて読んで、びっくりして、それ以来折にふれて読んでますが、何度読んでもおもしろいですね。
飽きません。


何で飽きないかというと、それは多分、わからないから。


何度読んでも何のことだかわからないからです。


だからおもしろい。


読んだその時の自分によって解釈、意味合いが変わってくるってところが。
ある意味、解釈は無限に出来ます。


他にも定期的に読みかえす本てあるけどカフカはやっぱり、ずば抜けてわからないです。
だから人気あるんでしょうね。


で、ここ大事なとこだと思うのですが、解釈が無限であるということは、誰もが『わたしのカフカ』を持つことができるんですね。


わたしだけの特別なカフカ。

それが何百万人もいるわけです。


そういう『わからない』の代表で思い出すのは、新約聖書ですね。本当か嘘か知らないけど、世界で一番売れてるらしいです。


聖書読んでもわけわかんないですよ。教義が書いてあるわけじゃない。


イエスはどうとでも取れることしか言わないわけです。
『人はパンのみにて生きるにあらず』とか、エッセンスのようなことしか言わない。


あれは解釈するためにあるんじゃないですか?


人間って謎が好きなんだなと思います。謎がなければ作っちゃえって。都市伝説とか自分探しとか。


それを馬鹿にするのは簡単なんですよね。


どうしてそんなに謎を必要としてしまうのかが、おもしろいし、せつないし、いとおしいし、ばかばかしくっていいんじゃないですかね。


どうしてですかね?


わかんないですよねえ。
2008.12.29 Monday

カフカ布団とふかふか


虫になっちゃうっていうインパクトが強くて、つい忘れてしまいますけど、タイトルは


『Die Verwandlung』


力点は明らかにこちらにあります。


日本語タイトルは『変身』(名訳ですね)となるので、どうしても主人公ザムザの虫への変化を連想してしまいますが、


“変容”と捉えれば、


ザムザが虫になってしまうことで、家族関係、人間関係が変容していく様を描いた悲喜劇


とも読めますよね。


たとえば、今、僕が『僕』であることができるのは、周囲が僕のことを『僕』だと認めてくれるからです。


僕が僕であることは自分では決められないのです。


尾崎豊は戦う前から敗れていたのです。勝ち続けることはできなかったのです。


他者との関係の上にしか存在できない『自己』という宿命。それは本当に危うい前提の上になりたっています。


貨幣経済と一緒ですね。貨幣はそれが貨幣であると認められなければただの紙切れです。


いや、というか本当はその逆で、我々の危うい現実が経済の形をとったものが、資本主義経済なのかもしれません。


リーマン・ブラザーズだって破綻するし、トヨタだって赤字決算するのです。


あれ?何のはなしだったっけ?


(つづく?)
2008.12.26 Friday

茄子貸せカフカ、急かすな


片付けしてたら出てきました。


ライブ先での空き時間に本屋入って暇つぶし。


長居しちゃったし、なんにも買わないってのもあれだよなぁなんてとき。


そんなときはこれです。


変  〜 身!

by

カフカ!


コーヒー飲むより安いし、薄くてかさばらないし、
こいつでまた時間つぶせます。

何回読んでもおもしろいし、一石四鳥ぐらい。


最近の古典リマスター・ブームで、訳もよりどりみどり。新訳、旧訳、それぞれの趣があっていいですよ。


最初に読んだのは中学のときで、十代の頃ってとにかくインパクト勝負ですから、もう虫になるってだけでなんかスゲェで、バカだから、中身なんてどうでもいいわけです。


太陽が黄色いと人殺しちゃうんだぁとか、俺は最低なんだぁとか、これで終わりだ美しき友よかぁとか、と一緒で、


その『なんかスゲェ!そんでもって、それを読んでる・観ている・聴いている俺も、もしかしてスゲェ!』


ていう気分が大事なんですね。


ガンプラ作って盛り上がってるのと一緒なわけです。


でもバカってのは恐ろしいもので、体力だけはありますから、


『もっとなんかないか?もっともっと!』ってなんでも吸収するわけで、それが三年、五年、十年殺し的にじわじわ効いてくるのですね。


(つづく)

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